『ウルトラマンは現代日本を救えるか』(朝日新聞出版)
1960年代から、現代までの日本社会の変遷と、それが『ウルトラ』シリーズではどのように表象されているかを考察した。視座の軸は「都市論」「若者論」「少年と家族論」。主にこの三つの事象の変遷を辿りながら、現代日本の環境問題、エネルギー問題、情報過多化…等々について論じた。
プロローグ
第1章 1960年代 「大きな物語」とウルトラマン
・戦後日本と「大きな物語」
・戦後の都市空間−−未来都市への羨望と終わらない「戦後」−−『ウルトラQ』「地底超特急西へ」
『ウルトラQ』「東京氷河期」
・都市化へのアンチテーゼ−−『ウルトラQ』「バルンガ」
・噴出する人口問題−−『ウルトラQ』「1/8計画」
・都市化への抵抗−−『ウルトラマン』「恐怖の宇宙線」
・都市の中に埋没する「個」−−無縁社会の萌芽−−『ウルトラセブン』「あなたはだぁれ?」
・「少国民」の面影を残す少年たち
・1966年の太陽族たち
・裏切り−−破滅する青春−−『ウルトラセブン』「盗まれたウルトラアイ」
・超越者としてのウルトラマン−−1960年代「イデオロギーの時代」の中で
第2章 1970年代 ポストモダンのウルトラマン
・破壊者ウルトラマン
・臨界点としての1970 太陽の塔とウルトラマン
・超越者から未熟な超人へ
・息苦しい箱としての都会−−もはや空き地などない−−『帰ってきたウルトラマン』「戦慄!マンション怪獣誕生」
・「光=正義/経済的繁栄=正義」の崩壊−−『帰ってきたウルトラマン』「残酷!光怪獣プリズ魔」
・70年代の家族の風景
・少年像「少国民」から「小市民へ」
・武器を持った「じゃみっ子」−−『帰ってきたウルトラマン』「ふるさと地球を去る」
・暴走する若さ−−『ウルトラマンA』「青春の星 ふたりの星」
・ポストモダンのウルトラマン
・オイルショックと大きな物語の終焉
第3章 1980年代 軽佻浮薄の時代−−−ウルトラマンの敗北
・ウルトラマン80 教師としての存在意義−−『ウルトラマン80』「美しい転校生」
・ウルトラマン不在の80〜90年代−−軽佻浮薄の時代
第4章 1990年代 復活するウルトラマンと大いなる闇
・環境問題の使者としてのウルトラセブン−−『ウルトラセブン』「太陽エネルギー作戦」
・ターニングポイントとしての1995
・ポストバブルの家庭像−−『ウルトラマンティガ』「悪魔の審判」
『ウルトラマンダイナ』「平和の星」
・90年代末期と大いなる闇−−『ウルトラマンティガ』「暗黒の支配者」「輝けるものたちへ」
第5章 2000年代 『ウルトラマン』再興の時代
・やさしい社会を目指して−−『ウルトラマンマックス』「地上壊滅の序曲」「つかみとれ!未来」
・ゼロ年代の若者たち−−『ULTRA SEVEN X』「HOPELESS」
・可視化社会
・一人じゃ生きていけない−−『ウルトラマンメビウス』「ひとりの楽園」
・ワケのわからないものに支配される−−情報化する社会−−『ウルトラQ dark fantasy』「踊るガラゴン」
第6章 ウルトラマンは現代日本を救えるか
・『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』二つのラストメッセージ
・少年たちに受け継がれる、ゾフィー、キリヤマ隊長のメッセージ
・みんなの手で−−『ザ☆ウルトラマン』「ウルトラの星へ!! 第1部 女戦士の情報」
「ウルトラの星へ!! 第2部 前線基地撃滅」
「ウルトラの星へ!! 第3部 U艦隊大激戦」
「ウルトラの星へ!! 完結編 平和への勝利」
『ウルトラマン80』「あっ!キリンも象も氷になった!!」
・人々の「絆」とウルトラマンになる人々
・暴走する「絆」
・ポスト「3.11」の『ウルトラマン』
・大きな物語から「絆」の物語へ
エピローグ
小学生の頃に読んだ、ケイブンシャの『怪獣もの知り大百科』にあった、「日本に怪獣が頻出したのは、経済成長期の日本にエネルギーが満ちていたから」という説明は、僕にとって、大きな「考えるヒント」となった。
経済成長していく日本では、旧来的な価値観が急速に価値を失ったり、新たな価値観に適合できない人々がいた。それらは、怪獣そのものとして、あるいは怪獣を巡る物語の中で描かれたわけだが、半世紀にも及ぶ『ウルトラ』シリーズでは「都市」、「若者」、あるいは「家族」「少年少女」の描かれ方に変化が生じていた。その変化を追うことはそのまま、日本社会の変遷を辿ることになるのではないか…。そんな思いで本書を書き上げた。