Opinion

フィクションと現実の間

 『ウルトラマン』のような架空の物語を通して、現実社会の問題を考えるということについて考えていきたい。

 『源氏物語』に興味深い一節がある。
 『源氏物語』「蛍」巻は昔から、作者紫式部の物語観がうかがえることで有名だ。
 主人公光源氏は、今は亡きかつての恋人である夕顔の娘である玉鬘を相手に、物語談義に花を咲かせる。
 
   神代より世にあることを、記しおきけるななり。『日本紀』などは、ただかたそば  ぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ

(物語というのは、古くからこの世のことを記しているものである。役人がまとめた文書などは多少のことしか記されておらず、かえって物語にこそ、世の道理にもかなった詳しい事柄が書かれているものだ。)

 光源氏は、非現実的な物語にこそ、世の道理が現れることを説いている。
 これは作者である紫式部自身が、物語とは現実世界が反映されたものであると言っているも同然だ。
 『古事記』のヤマタノオロチやそれを退治するスサノオノミコトも単なる怪物退治の話ではない。強大なオロチは、人間を翻弄する自然災害の喩えであり、生け贄とされる娘は農作物のことであるし、剣を持ってオロチを退治するスサノオノミコトは、鉄を利用し農機具を開発した人智の喩えでもある。(諸説あり) 
 このように、現実的な出来事を超常的な存在や事柄に置き換えて表現する歴史は古い。神話の類は洋の東西を問わずに存在するし、こと日本を考えてみても、異形のものの象徴としての「鬼」や、死者を登場させることで現実世界の悲喜を伝える舞台表現である、「能」の存在などがあげられる。
 『ウルトラマン』もその系譜上にあると考え、、私は文学読解の手法で『ウルトラマン』を研究し始めた。
 いつの時代であっても、書き手も読み手も現実を生きる人間である以上、全てのフィクションは現代社会の映し鏡となるものだろう。