Opinion

世界は二項対立と脱構築を繰り返す

 アメリカ同時多発テロが「9.11」という呼称で記号化され、世界史のパラダイムの転機とされたように、東日本大震災も「3.11」という名で、日本の、あるいは世界のパラダイムを捉え直す記号と化すことになった。
 代表的な事柄の一つとして、「原発推進/脱原発」という二項対立が、国民に直面する問題として顕在化したことが挙げられる。特に政治的な立場から成立していた「保守=原発推進/革新=脱原発」という二項対立の図式が解体されることになったことを、明治天皇の玄孫で、保守を自認する竹田恒泰氏が語っている。
 竹田氏によれば、革新派が脱原発を目指したことから、対抗軸である保守は自ずと原発推進を掲げるようになったという。ということは「保守=原発推進/革新=脱原発」という二項対立は発生時から形骸化した対立軸であったということだ。だが、このかたちばかりの二項対立が解体され、保守派の中でも、「原発推進/脱原発」に立場が二分されてきているのだという。
 これは「3.11」は既存のパラダイムを脱構築する装置として機能した例と言える。
 世界は、様々な二項対立が生じては、何らかの機会にそれを脱構築し、新たな枠組みで捉え直すことを繰り返してきた。
 それは、原発の問題のように一つの出来事を通して急激に脱構築されることばかりではない。
 先日、地域の神社の祭典に行ったが、そこでは祭りが本来の力、すなわち強烈な「ハレ」の磁場としての機能を失いきっていることに気付いた。
 歴史的に考えれば、店が少なかった時代に、ひととき多様な露店が並ぶ祭りが「ケ」に対する「ハレ」として存在したわけだから、私が幼かった頃ですらとっくに祭りは「ハレ」の場とは呼べなくなっていたのだろうが、それでも地域の大型店が19時前には閉店し、コンビニなどなかった頃には、20時を過ぎても露店が灯りをともし、見物の客が絶えない祭りは「ハレ」と呼べる力を持っていたように思う。これは私がまだ幼く、祭りに心ときめかせていた故に感じられたものだとばかりは言えないように思う。
 しかし今は、戦艦のようにそびえる地域の大型店は23時まで営業し、幹線道路にはやや間隔の空いた商店街のようにコンビニが建ち並ぶ。そのような環境の中、祭りはもはや「ハレ」の磁場としての機能をすっかり失ってしまった。「ハレ/ケ」の二項対立は経済発展や三浦展氏の言う「ファスト風土」化の中、時間を掛けて徐々に脱構築されたと言える。
 世の中には固定化され、形骸化した二項対立や、二項に優劣が付され上下関係と化した二項対立が多くある。一方で、脱構築する動き(政界再編はその代表だろう)もある。
 私たちは絶えず二項対立を捉えなおし、今日的な命題に沿ったかたちに脱構築する営みを忘れてはならないのだろう。