Opinion

数学的思考

 昔から数学は苦手だ。
 中学時代は勉強のできない生徒の典型で、数学と英語ができなかった。
 高校進学後、大学入試に向け、英語が必要であることから、それなりに勉強し、一応英語嫌いは克服した。しかし数学は結局克服できなかった。
 けれども、数学的な考え方が思考に役立つという思いはある。
 例えば、一次関数。これは天賦の才能と努力の量に見立てられる。
 切片が高い(=才能がある)人も、傾きが横ばいに近くては(=努力をしなければ)高い位置にはなかなか到達できないが、切片が低くても(=才能に恵まれなくても)、傾きが急傾斜であれば(=努力の量が多ければ)高い位置に到達できるというものだ。
 前者は例えば、y=1/5x+5のような式で、後者は同様にy=5x-5のような式で喩えられる。
 次に、分配法則。これは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と同じだ。
 括弧の前にマイナスがあれば、括弧の中は全てマイナスが影響する。
 -2(5a+10b)の式では、いくらaやbの値が高くても、括弧の前にマイナスが付くことで価値は反転してしまう。
 パラテクストの影響力もこれに近い。ある本の価値を見出すとき、作者名に影響されない人はいない。さらに出版社のネームバリューやブックカバー、帯文にまで影響されて、本文は評価される。これら表面的な事柄がマイナスであれば、括弧内(=本文)までマイナスに評価されかねない。
 さらに数学には、虚数や補助線と言った、架空の概念を補助的に用いることで解を得られることがある。
 架空の物語を通して、現実社会の真相に行き着くことができるのは「フィクションと現実の間」に書いたとおりだ。
 数学的な素養がもっとあれば、さらなる概念の発見があるのかも知れないが、今さら数学を学ぶ必然性もないし何よりその気概がない。
 ちなみに、高校時代は全員に配られる成績表で、5教科合計の高得点者は名を明かされた。そこで名を挙げられることは誇らしいことでもあるはずなのだが、私の場合、「神谷和宏 国語90点 英語90点 数学15点…」などと明かされるので、数学ができないことは誰の目にも明らかになった。