
メディアが描いた都会と恋愛の関係
この文はレビューというよりは、『恋愛社会学 多様化する親密な関係に接近する』内の、木村絵里子「1980年代の『恋愛至上主義』『non-no』と『POPEYE』の言説分析を通して」を用いたポップカルチャーの恋愛論といったほうが良いかも知れない。
1990年代初頭、バブル文化の高揚感の中で、恋愛を語ることがブームになった。恋愛という普遍的な行為がブーム化したという言い方も妙だが、でもそれはやはりブームであった。ドラマ『東京ラブストーリー』(1991年)が大ヒットすると、その原作者、柴門ふみがドラマ開始前に出版していた恋愛エッセイ『恋愛論』は70万部の大ヒットとなり、エッセイであるにも関わらずドラマ化される。柴門ふみはいつしか「恋愛の教祖」と言われ、多くの作家による恋愛論が上梓された。笹沢左保のようなベテラン作家までもがそこに参入した。
この時期は自身の体験としての、あるいは憧憬の対象としての恋愛を〈語る〉のではなく、恋愛とは何か、〈論じる〉ことが隆盛した。そこには前時代からの二つの変容がうかがえる。
一つは「恋愛論」の「論」の部分、つまり同時代は何が論じられる(ようになった)時代であるかという点である。
1980年代のニューアカ以降、学問は高踏的な地位に留まらず、その論究の対象はポップ化していった。ポップカルチャー概念の本格的な生起はもう少し後だが、サブカルチャー概念は既に一般化しており、サブカル論が多く語られるようになる中で、恋愛もまた論評の俎上に上がっていったともいえるだろう。その意味で恋愛論は、『磯野家の謎』、『ウルトラマン研究序説』等の「謎本」と呼ばれるものと近しい関係にある。これらもまた、高い知名度を誇りながら、論じられてこなかった分野であった。
もう一つは(こちらが主であるのだが)「恋愛論」の本体ともいえる「恋愛」の部分の変容である。
戦後日本社会はほぼ一貫して晩婚化が進むが、このことは恋愛の長期化につながる。晩婚化が進めば、婚前交渉についての否定的意識が薄れるのも、この晩婚化=恋愛期間の長期化と無関係ではないだろう。つまり、結婚に至る「経緯」としての恋愛はそれ自体、目的化していったと考えられる(これに関係することは同書内の、永田夏来「日本の家族社会学はいかに『出会いと結婚』を扱ってきたか」で触れられている)。
木村絵里子「1980年代の『恋愛至上主義』『non-no』と『POPEYE』の言説分析を通して」では、メディア、中でも雑誌メディアに注目して、恋愛文化について考究している。早々に語られる1980年代と90年代の恋愛の描かれ方の差異が興味深い。木村は、80年代のそれが、都市の消費文化と関わり合うものであることを示す。
糸井重里が「おいしい生活」(1982年)、「ほしいものが、ほしいわ。」(1988年)と謳った1980年代とは、足りないものを補う消費から、既に充足している生活を彩る消費へと変化していった時期である。小説やドラマも自ずとそんな生活を呈示するショーウィンドウとして機能した。
『金曜日の妻たちへ』3シリーズ(TBS、1983年~1985年)は東急田園都市線の住宅地を舞台化し、その系譜にある『金曜日には花を買って』(TBS、1986年~1987年)では、東急ストアでのショッピングを描出することで、都市での豊かな消費生活というものが印象付けられている。第1話ではそこを東急ストアと知らせるかのごとく同店の看板が映し出され、食品売り場で買い物をし、屋上駐車場に停めたマイカーに乗り込むシーンが描かれている。
この点は後年のトレンディドラマとは異なる点である。80年代後半~90年代に隆盛するトレンディドラマもまた、若者たちの居住空間が、ファッションが、車が、そして時折、舞台となるレストラン等での食事が彩りあるものとして提示されるが、それらの多くは、都会における消費文化の豊かさを示すというよりは、恋愛ドラマを“映え”させる舞台であり、小道具であった。木村はこのようにして描かれる都会の描写を「都市空間というおしゃれな街が結婚から切り離された恋愛という新しい親密性を演出する舞台」であり、「恋人たちの関係を支えるインフラ」になったと指摘する。
1980年代の衰退期を経て、1990年代にリブートする『ウルトラマン』シリーズの特色の一つが恋愛描写だった。かつての『ウルトラマン』シリーズと異なり、物語を貫く縦軸がいくつか設定され、伏線回収の妙を得た90年代の『ウルトラマン』シリーズでは、特に主人公をめぐる恋愛ドラマが大きな縦軸となった。『ウルトラマン』シリーズはかねてより、都会を舞台として、その都会に生きる人々を俯瞰するかのように描く性質があった。そこでは地方から上京してきた若者の葛藤、成長期の都市部の経済合理的な論理に順応して「現代っ子」として生きていく子供たちが多く描かれてきた。このことを踏まえれば、都市が恋愛のインフラと化した上では、『ウルトラマン』シリーズもまた恋愛を描出したのは必然であるといえるかもしれない。
もっとも、より直接的には、アニメが1970年代後半以降、ユースカルチャー化する中で、恋愛表象を伴っていったことを踏まえていくべきだろう。
地球の未来、自らの正義の実現に向き合う若者たちが、戦艦という閉ざされた空間に存在する70年代後半のテレビ、映画アニメ、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』は、直接的に描かれなくとも恋愛要素を多く秘めており、『ガンダム』で主人公たちにとって敵軍となるジオン軍の人気キャラクター、シャアとララアは男女の関係にあることを監督は想定しており、その関係性が暗に示されるシーンもある。
このようにアニメ=児童向け、という構図が崩れていく中で、訴求する年齢層を上げたアニメが恋愛を扱うことは珍しいことではなくなった。『超時空要塞マクロス』などはその好例だろう。この影響は特撮にも波及し、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年~1992年)では恋愛をめぐるドラマが重視され、『真・仮面ライダー序章』はVシネマということもあり、かなり直接的に性愛が描かれた。そして90年代にリブートする『ウルトラマン』シリーズでもウルトラマンに変身する人間と女性隊員の、そして脇を固める登場人物の恋愛が描かれることとなる。この時期、世界の終局と、個の恋愛とが同期するコンテンツが「セカイ系」と呼称されたが、この前史として、メディア主導の恋愛文化の隆盛というものがあるだろう。
木村は、雑誌の恋愛に関する記事が1970年代から80年代にかけて、どう変化したのかを示しつつ、恋愛体験記、デート特集を物語したものがトレンディドラマであり、恋愛はメディア化された経験になったのだという。
メディア化された実体験としての恋愛は、今度は恋愛のモデルとして機能し、恋愛に関する人々の行動に影響を与えていったことだろう。つまり、木村の指摘からは、人々の恋愛模様がモデルとなってメディアに投影され、それが雑誌、またドラマ等でにコンテンツ化されることで恋愛のモデルと化し、人々の恋愛模様がまた方向付けられていくという、インタラクティブなダイナミズムが存在していたことを想像させる。(2025/1/25)