ウルトラマンシリーズ、特撮文化の研究と批評/A Study of Tokusatsu"live action films" Culture by KAMIYA Kazuhiro


大月功雄『戦争映画の誕生 帝国日本の映像文化史』人文書院、2025年



 特撮もアニメも戦時中のプロパガンダ映画が起点の一つとなっていることは既に知られているが、戦争映画の映像文化を紐解く本書の高い解像度は、直接的に特撮ジャンルに言及しておらずとも、戦争映画と戦後特撮の連続性を考究する上で重要な手掛かりを示している。特撮には、本書で示されるモダニズムや機械芸術の問題が深く関わるからである。もっとも関心を引いたのは、板垣鷹穂や円谷英二のことである。

 20世紀初頭は機械美が発見された時代である。古賀春江の『海』という絵画では、水着を着たモダンな女性のほか、直線や円を組み合わせた工場や潜水艦、また飛行船が描かれているが、この時代はこのような近代的な機械のもつ芸術性がシュールレアリストたちによって、絵画や映像に描出された時代であった。
 大月は、戦争映画がモダニズムや機械美を映し出してきたことを丁寧に追う。そのような文脈の中で、モダニズム美学の提唱者であり、機械芸術を多く論じていた板垣鷹穂が、「『機械美』の再現方法として求めたものが、劇映画ではなく記録映画であった」こと(p.112)、板垣が記録主義リアリズムによる教育映画を肯定する態度を示していたこと(p.116)、そして「当時軍事教育映画とは、記録映画に関心をもつ映画作家たちがそのアヴァンギャルドな芸術的実践を行うための実験場となりつつあった」(p.120)ことを論じる。
 私は拙論「特撮と戦後アヴァンギャルド」や博論にて、初期の『ウルトラマン』シリーズには、戦後日本のアヴァンギャルドの思潮が底流し、そのことで記録映画の手法、教育映画的な内容、あるいは実験映画的なショット、さらにはメタボリズム建築に見られる幾何学的な美が表出していることを述べた。そしてこれらは、アヴァンギャルドの思潮を映像で具現化していた大島渚と近しい関係であった佐々木守と実相寺昭雄によるほか、福嶋亮大が説くように、モダニズム、機械美を円谷英二が感得していたことも一因となって、そのような土壌の形成に繋がったのだと論じた。
 大月による丁寧な論述から、「記録映画」「機械美」「教育映画」といった事象が、戦争映画を経由し特撮に流入したのは必然的なことであったのだと改めて感じたし、そして何より、より詳細に知ることができた。

 大月は円谷英二にも論究する。日本映画初の本格的な特撮技術導入は『海軍爆撃隊』(東宝、1940年)であり、これは日本初の「航空映画」でもあったのだという(p.178-179)。
 当時、飛行機そのものに加え、空撮写真自体がモダニズム美学、機械芸術の一端を担っていたことは福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』や、橋爪紳也『飛行機と想像力 翼へのパッション』に詳しい。円谷が元々飛行機の操縦士を志願していたこと、そしてそれを断念するも、特撮技術が疑似的な空撮を可能とするものであることを円谷が述べていたことを思えば、本邦初の本格特撮技術を使用した映画はまた、本邦初の航空映画でもあったことは偶然とは言い難い。
 『海軍爆撃隊』の監督、木村荘十二は科学的な制作方法を重んじ、また森岩雄をはじめ東宝内には特殊撮影推進派が存在していた状況を、大月は「東宝のいわば『戦時モダニズム』とも呼ぶべき空間」といい、「近代主義的な科学技術観」が「円谷英二の『実験』を積極的に許容していた」と説明している(p.181)。古くから特撮技術に目を向け、『ゴジラ』(1954年)製作に大きな影響を与えた森岩雄の、「ゴジラ以前」の円谷との関係性がそこから読み取れる。

 また興味深いのは、『海軍爆撃隊』の特殊撮影技術の同時代評は、海外に比べて見劣りするといった酷評や嘲笑であったという説明である(p.182)。
 これもまた今ではそれなりに知られた話であるが、『ゴジラ(第1作)』もまた、その公開直後には、ほぼ同様の酷評、嘲笑と取れる評が揃っていたのである。当時の視聴者、あるいは識者の特撮技術に対するまなざしがうかがえる。

 大月は、戦後の反戦映画もまた、反転したかたちで戦争映画を継承するものとして、そこに連続性を捉える(p.262)。本書によって、記録映画、機械美といったモダニズム、そして教育映画、実験映画の要素を持つ特撮もまた、戦争映画の系譜上にあることを改めて考える機会となった。(2025/11/16)

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