ウルトラマンシリーズ、特撮文化の研究と批評/A Study of Tokusatsu"live action films" Culture by KAMIYA Kazuhiro


太田省一『萩本欽一 昭和をつくった男』ちくま新書、2024年



 僕にとって1980年代とは、テレビが憩いの場から、そうでない場へと変わっていった時代であった。嫌なことがあった日も、退屈な日も、テレビをつければそこには快適な場が開けた。『ドラえもん』をはじめとする藤子アニメでは困難に直面(といっても、大概は「宿題が終わらない」とか、「ジャイアンにマンガを取られた」といったことだけど)した少年には手が差し伸べられた。地球を狙う悪は、弱きを救う戦隊ヒーローや宇宙刑事によって退けられた。そして21時になれば、欽ちゃんがそこにいてくれた。

 学級では強い奴がのさばっていた。スポーツのできる奴がおとなし目の僕らを蔑んでいた。度が過ぎれば先生方も注意してくれたけど、生徒間にそのような力関係があることには、気付いていたのかいなかったのか、あまり無関心であった。でも、テレビの中ではドラえもんやハットリくん、パーマンや怪物君が気弱な少年に寄り添い、悪は清廉なヒーローが倒してくれた。
 状況が変わっていったのは80年代半ばからだ。

 『北斗の拳』は血飛沫が飛び、見ようとは思えなかった。『キン肉マン』は3枚目でヒーローには思えなかった。今ではこれらが80年代を代表する重要なコンテンツであり、『少年ジャンプ』やゲーム等とのメディアミックス展開など、興味深い分析対象であると思っている。でも小学生時代の僕には、興味の対象外だった。それどころか、学級で「アタタタ!」と奇声を上げて体を突っついてきて、しまいには「お前はもう死んでいる」と言ってくる同級生らにうんざりしていた。
 ドラマ『毎度おさわがせします』が始まると、学級でもその話題になっていたようだが、性的な内容はやはり、学級の強い奴らと相性が良かった。相対的に、高学年にもなって特撮を愛でている僕などはからかいの恰好の的だった。
 追い打ちをかけたのは欽ちゃんの休養宣言であった。冠番組が次々と終っていった。そして時代はとんねるずらの笑いを称えた。「一気!一気!」と煽り、時に本気かと思えるほどの勢いで出演者と蹴り合うような演出―。これらが席巻するテレビは、僕のような子どもにとっては居場所ではなくなっていた。 『キテレツ大百科』がテレビ化された際もショックだった。主題歌は「ボディーだけレディ―」。「胸なんかママよりもグラマー」「覗きたいな大人の秘密」といった歌詞が並ぶ。ほとんど最後の砦のようであった藤子アニメまでもが、僕らの居場所ではなくなっていくように感じられた。
 今のような「昭和懐古」もなかったから(そもそもその頃はまだ昭和だった)、古いコンテンツへの郷愁といったものもあまりない時代だった。だが僕は『全怪獣怪人大百科』を片手に頑なに、特撮を愛し、好きな曲は? と聞かれれば「ハイスクールララバイ」「ティアドロップ探偵団」「もしも明日が…」と答えていた。
 あれだけ隆盛をきわめていた欽ちゃんを、みんななぜ黙殺するのか、と思った。次第に黙殺しているのではなく、忘れているのであり、そしてそもそも欽ちゃんの隆盛を知らない世代が多数派を占める時代となっていった。

 太田省一は欽ちゃんが昭和という時代をつくったのだ表現する。芸人として、そして欽ちゃんファミリーの中心として隆盛するに至った、パーソナルヒストリーを追い、同時代のメディアの状況を踏まえ、欽ちゃんが何の影響下にあり、また何が欽ちゃんの影響下にあるのかを示している。
 同書が(良い意味で)学者の仕事であると思わされるのは、意外と多い欽ちゃんの著作を渉猟していること、そして何より、実は欽ちゃんの笑いはSMAP以降の「やさしい」笑いに継承されているといった分析が示されている点だ。
 私はポップカルチャーを研究する中で、先に例示したような子どもに向けた刺激的な要素というものが決して今に継承されているとは言い難いことは感じていた。藤子アニメの主題歌にさえ扇情的とも言える歌詞が並ぶようなことは今はない。幼年時代にはやはり牧歌的な世界というものが必要なのだと覚醒したとばかりに。むしろ例示したような刺激に満ちた時代こそが特異な時代であったのだともいえる。しかし、お笑いについては、欽ちゃんの冠番組がかつてのように並ぶことはなく、魅惑的な毒に満ちたビートたけしやとんねるずの栄華が長く続くことで、いつの間にか、欽ちゃんそのものではないものの、欽ちゃん的な笑いというものが復権していたことを見逃していたように思う。
 かつて、テレビ番組を論評の俎上に上げる撮った営為は一般的ではなかった。だが、今や映像コンテンツ、エンタメ文化を論じることには目新しさすらない。にもかかわらず、これまで論じられていない事象はいくらでもあるわけで、欽ちゃんもまた、忘れてしまうにはあまりに大きすぎる存在であり、むしろテレビ史における巨人であることを同書は示している。(2025/4/5)

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