
「遠視」「未来予想図」としてのテレビ番組
草創期(1950~1960年代)のテレビ特撮は、頻繁に異境を舞台化した。その想像力は『ウルトラQ』を汽水域とし、『ウルトラマン』になると、多々良島や中東風のバラージを描いた後、ほぼ霧消する。そして流線型の飛行機を擁する防衛隊、科学特捜隊にはオブジェ的な外観の基地内には電子計算機が並び、さながら未来都市への夢想を掻き立てる。それは『ウルトラセブン』まで、時代設定が近未来であったことにもよるだろう。一方、同時代設定となった『怪奇大作戦』、『帰ってきたウルトラマン』以降の『ウルトラマン』シリーズでは、古都としての姿を失う京都の、そして郷里を離れた若者の集う東京の、そして観光地として「ディスカバー」される地方の姿が映し出されてきた。
このような議論に沿うかのように、テレビ論を説くのが同書である。松山はテレビが元来、遠隔装置として期されたこと、1960年代には東京オリンピックを控え、発展する東京の未来予想図を提供したことを述べる。さらには、地方から上京したものを「家郷喪失者」と称したのが見田宗介であることを指摘した上で、ホームドラマが「家郷喪失者たちに東京での豊かな生活を提供した」のだという。
特撮は特撮以前の諸文化-例えば立川文庫や科学小説-の延長線上に成立し、やがて先駆的な特撮に倣う、あるいはそこに差別化を図るかたちで後続作が出来るようになる。しかし、特撮もまたテレビ番組であるという当然の認識に立った時、特撮はテレビコンテンツの全体的な同時代性の影響を受けるのもまた当然のことである。その上、作劇の主な舞台を異境から日本に移す中で、日本=東京であるかのような作劇の中心となるわけで、その点でテレビが東京をどう描き、東京から見た地方がどう捉えられたのかを示す同書は、テレビの草創期、青春期と言える1950年~1970年代にその隆盛期を迎えるテレビ特撮を考える上で多くの示唆を与えるものである。(2024/9/22)