ウルトラマンシリーズ、特撮文化の研究と批評/A Study of Tokusatsu"live action films" Culture by KAMIYA Kazuhiro


木村絵里子、轡田竜蔵、牧野智和編著『場所から問う若者文化 ポストアーバン化時代の若者論』、晃洋書房、2021年



 大学時代は、東急新玉川線(現・田園都市線)の駒沢大学に近いアパートに住んでおり、用事がなくても渋谷に行った。ただ渋谷を歩いているだけで、満ち足りた気分になった。大学生だからそんなにお金はなかったが、往復260円、雑多な文化が貼り合わされた渋谷への入場料として高くはなかった。
 その頃、大学近くの床屋で髪を切ってもらっていたが、そこの中年のご夫婦は「おばさんたちはもう渋谷には行けないよ、若い人ばかりで」と言っていて、初めて、渋谷が「若者の街」であることを意識した。改めて見渡せば、そこには若者と若者に訴求する消費文化が陳列されているのだった。いつか自分も、この心地良い街から疎外されるのかも知れない―そう思ったが杞憂だった。
 北海道に戻ってからも、上京の機会はあり、その都度よく渋谷へ向かったが、そこが若者の街でなくなっていったことを肌感覚としては感じていた。
 
 『場所から問う若者文化 ポストアーバン時代の若者論』、荒井悠介「Gathering文化からSharing文化へ―渋谷センター街のギャル・ギャル男トライブの変遷」は、主に90年代以降の渋谷の渋谷の変遷をギャル文化、あるいはストリート文化の衰退と絡めて論じる。そして20年近い昔、「ヤマンバギャル」だった女性が渋谷を「もう一張羅でくるところじゃないね」といい、見渡せば渋谷の街には外国人、若者とは言えない年齢層のサラリーマンが溢れていることを示す。
 若者文化としての、あるいはその拠点としての渋谷の喪失―この視点は、ポップカルチャー研究には重要である。ポップカルチャーは時に、ユースカルチャーとも重なりやすいが、では、あるジャンルやあるコンテンツは、幼児の、少年少女の、若者の「通り道」であるのか、それともある世代に特有の「流行り」であったのか、これらを弁別する必要があるからである。
 例えば幼児向けアニメというジャンル、あるいは『アンパンマン』はある時期から、幼児の通り道になっているであろう。しかし、洋楽やバイクはある期間の若者の通り道であったかも知れないが、今となってはむしろ、現世代の若者文化を離れ、かつて若者だった世代に訴求する趣味といえるかもしれない。
 
 幼児向けの娯楽として一定の価値は見出されていたにしても、文化と目されなかった特撮やアニメが文化としてカテゴライズされたのは、まず若者文化としてであった。1970年代のことである。それは今では『男の隠れ家』、『サライ』で特撮特集が組まれるに至っている。つまり、特撮はいまや、シニアカルチャーとしての側面をもつのである。
 先の論や、同書内の、大倉韻「オタク文化は、現在でも都市のものなのか」は、ポップカルチャーを含めたいわゆる若者文化の消費の状況や、その変遷という視点を提供するものである。特撮は80年代にはすでに「郷愁」の対象と化していた。ポップカルチャーについて検討する上では、若者論をはじめとした世代論は一定の有効性を持つ。(2024/11/17)

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