
テクノ・オリエンタリズムが織り成すディストピア
『表現文化の社会学入門』第11章「コンテンツ産業と〈日本(人)〉イメージ」には結構な衝撃を受けた。
まず、この章がポップカルチャー研究に資すると考えられる点はいくつかあり、例えば日本人が海外からの評価をもとに、自国礼賛をし始めたという点は興味深い。
日本では「J回帰」と言われる現象が生じ、日本古来のものづくりの知恵や技術が見直されてきた。80年代に衰退期を迎えた特撮が再興し、文化資源化することを振り返る上で、この点は重要なことである。特撮もまた「日本らしい」匠の技によって成立した、あたかも伝統芸のように認識され、特撮の担い手は「匠」「マエストロ」、あるいは「絵師」といった呼称を得ることとなった。
さて、衝撃的であったのは、「テクノ・オリエンタリズム」の概念である。そもそも西洋のオリエンタリズムの中で、日本人は劣等的なイメージを形成しており、そこに太平洋戦争での特攻や捕虜虐待という憎悪のイメージが重なっていったのだという。しかも戦後日本は、テクノロジーを進展させたり、経済大国化していったりしたにも関わらず、そのイメージは旧来的なイメージを上書きするものではなかった。むしろ、本来相容れないであろう両概念のハイブリッドとして日本人のイメージが形成されているのだという。それがテクノ・オリエンタリズムである。高度な技術化は、サイボーグ的な非人間性と捉えられているという小暮修三の論も引用される。
日本的なテクノロジーがもたらすのはユートピアではなく、むしろディストピアのイメージに近いということも紹介される。
オリエンタリズム、あるいはテクノ・オリエンタリズムの示す日本人像には違和感しかないが、高度な技術化がディストピアを生むという発想は、古くから『ウルトラセブン』「第四惑星の悪夢」や、『風の谷のナウシカ』、『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』など、特撮やアニメの中で繰り返し仮想されてきたことであり、今ではポップカルチャーの仮想的な舞台として定番でさえある。
もっとも、テクノ・オリエンタリズム下でのディストピアイメージと、実際の日本のポップカルチャーでのディストピアイメージは簡単に符牒するものではない。「第四惑星の悪夢」では、立法・司法・行政の三権に加え、情報までもがコンピュータによって統御される惑星が描かれるが、これは日本特有の事情が表象されたものではなく、むしろ戦後日本社会を席巻する、西洋的な近代合理主義のもつ暴力性を描くものである。ラストの、第四惑星から帰還した隊員たちが、履いていた「下駄」(という日本的なアイテム)を足で放り投げて、その裏表で明日の天気を占う(=天気を迷信で探る)という描写が、第四惑星の対極として機能していることからもそれは明らかである。これを撮った実相寺昭雄がゴダールの『アルファヴィル』を意識したといっているように、このディストピアは、日本に特有のものではない。かといって、ゴダールのいたフランスに特有の問題でもない。汎世界的な問題なのである。
この章では、テクノ・オリエンタリズムのステレオタイプな日本人イメージをある楽曲のジャケットを通して論じられる。そこに描かれるのは、工業製品であり、サラリーマンであり、そしてゴジラやモスラといった怪獣であった。(2024/11/17)