ウルトラマンシリーズ、特撮文化の研究と批評/A Study of Tokusatsu"live action films" Culture by KAMIYA Kazuhiro


なぜ『プリキュア』は語られないのか
テーマ中心主義によるポップカルチャー研究の盲点

2026/2/25

なぜ『プリキュア』はあまり語られないのか

20年以上にわたり放送されているにも関わらず、なぜ「『プリキュア』論」は少ないのか。

石井は『セーラームーン』の批評や研究の論者の多様な視点として「フェミニズム、記号論、構造論」を例示している。

テーマ性中心主義、「大人の鑑賞に堪える」という視点はなぜ重視されたか

『セーラームーン』に限らず、ポップカルチャー論は長くこのような文芸論、表象論の一角を成してきた。そこではドラマ性が問題となる。社会問題や人生の機微といった深遠なテーマが描かれることで、語るに値すると見なされ、多くの論評が提出される。『ゴジラ』や『ウルトラマン』、あるいは『ナウシカ』から「我々は何を読み解けるのか」―といった論がポップカルチャー論を牽引してきた時期があった。

フィクションは現実世界で不可視の観念や、見えづらくなっているものを照射することは珍しくなく、その点を扱った優れたポップカルチャー論も多い。

アニメや特撮が文化として承認される過程において、「大人の鑑賞に堪える」という視点は一定の役割を果たしてきた。主題や作家性を論じることは、ポップカルチャーを論壇に上げるための戦略、方便でもあった。自分自身も『ウルトラマン』シリーズを俎上に上げ、その営みに関わった一人である。

ただ、そのような視座ばかりが強調されると、深遠なテーマ性を携えた、いわゆる「大人の鑑賞に堪える」、「考えさせられる」コンテンツやエピソードばかりが繰り返し論じられるようになる。
『帰ってきたウルトラマン』「怪獣使いと少年」は人間に内在する排他性を照射した名編だが、そればかりが繰り返し強調されると、かえって同作品の価値は伝わりづらくなる。
「大人の鑑賞に堪える/堪えない」は数ある尺度の一つに過ぎない。このステレオタイプ化した枠組みを唾棄すべきではないが、いつまでも前景に置くべきでもない。

『サザエさん』も語られていないのではないか

このテーマ性中心主義は暗黙のうちに単発映画中心主義を招いた。

映画は一定時間で完結する。明確な主題や構造が抽出しやすく、毎週のように脚本家や監督が代わるテレビシリーズに比べれば「作者」も明示しやすい。作品を一つのまとまりとして扱い、「これは何を表象しているのか」と問うことができる。そのため、主題分析や表象論といった批評や研究で用いられる方法論と相性がよい。

このテーマ性中心主義、そして単発映画中心主義のもと、ディストピア、戦争、日本古来の土俗性、多神教といったものを表象したジブリのアニメ群は論評の俎上に上がった。対して1980年代から今日に至るまで、ジブリのアニメ群と並行してアニメの発展を牽引した『ドラえもん』の劇場作品群は圧倒的な動員、収益を記録しながら、語られることは多くない。そこにはおそらく、毎週テレビで見ている『ドラえもん』をテーマ性で語るという発想の稀薄さが理由としてある。

テーマ性などというものとはおよそ無縁そうなアニメ『サザエさん』は、今や半世紀を超える長寿コンテンツだが、どれだけ語られてきただろうか。90年代の『磯野家の謎』のようないわゆる「謎本」を除けば、その長さに比べ、論評の数はきわめて少ない。

脱・テーマ性中心主義のポップカルチャー論

 しかし目を転じれば、テーマ性などとは直接的な関わり合いをもたない研究や批評はいくらでも成立する。

 表象論に寄らないポップカルチャー論はすでにいくつも成立しており、製作の経緯、ミニチュアや絵コンテといった中間生産物、関連玩具、グッズの生産と消費の実態、ファン文化の隆盛、聖地巡礼の状況―こういった論点、つまりはテーマ性、表象論、作家性などとは一度距離を置いた論点によるポップカルチャー論が多く語られるようになった。そのことでかえって、従来型の論が深まったり、学際的と言って良いような広がりを見せる例もあっただろう。

それでも『サザエさん』が、『ドラえもん』が、『ちびまる子ちゃん』、『プリキュア』といったテレビコンテンツが語られる機会はまだまだ少ない。つまり、テーマ性中心主義を脱した研究においても、扱われるコンテンツ自体はテーマ性ある作品がまだまだ中心であるように思われる。

『プリキュア』シリーズの提示する消費の二重構造―エバーグリーンコンテンツのモデルとして

 『プリキュア』シリーズには興味深い論点がいくつも生じる。一例を上げれば消費の二重構造が存在している点である。

 2004年に放送を開始した『プリキュア』を本放送で視聴していた世代は、いまや20代後半に差しかかっている。その層に向けたアパレルやコスメ、イベントといった消費展開は、現行の児童向け玩具や文具と並行して成立している。

とりわけ代表的なのが、『Yes!プリキュア5』(2007-2008年)およびその続編『Yes!プリキュア5GoGo!』(2008-2009年)と、そのキャラクターを成長後の姿で描いたスピンオフ作品『オトナプリキュア』(2023年)である。

特撮やアニメが登場人物の「その後」を描くこと自体は、もはや珍しい試みではない。だが『プリキュア』シリーズが特徴的なのは、成長した姿を描きながらも、同時に中学生としての姿を現在形で提示できる点にある。2023年には『プリキュアオールスターズF』も公開され、そこでは『Yes!プリキュア5GoGo!』の6人は従来通り中学生として描かれ、2023年時点の児童の前にも姿を現した。
役者の加齢という制約を免れない特撮作品では不可能なこの時間の往来は、アニメという形式がもつ時間の可逆性を最大限に活用したものである。
このことで、『Yes!プリキュア5GoGo!』の世界観は、かつての児童=成人と、2023年時点の児童の双方に並行して訴求し得る二重構造を構築した。放映にあわせて、酒類や飲食を含む大人向けの商品展開も行われたのである。

ポップカルチャーをめぐる状況も高齢化社会と無縁ではいられない。そうなると、先細りの児童市場のみならず、一度子ども番組を「卒業」した層に再度、訴求するコンテンツ作りは不可欠な視点となり得る。そうした今日的な展望を考える上で、『プリキュア』シリーズが提示する、コンテンツと連動した消費の二重構造はきわめて興味深い。この二重構造は、東映が掲げるコンテンツのエバーグリーン化の有効な手段となり得るし、ポップカルチャーを巡る今後の一モデルとなり得る。

 テーマ中心主義によって周縁に置かれつつも、日本のポップカルチャーを考える上で照射すべき事象やコンテンツは多く潜んでいる。そう考えると、ポップカルチャー研究の沃野はまだまだ開拓され始めたばかりであると言って良い。



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